頑張ることについて

 私は怠け性だ。

 「頑張る」「努力」「夢を叶える」という言葉が苦手だ。

 「がんばりや」「努力家」には、どうしてそんなに生き急いで、と思ってしまう。

 私は頑張ることができない。

 

 どうして頑張ることができないのか? それは簡単で、頑張ることによって自分の非力なことが自分自身と他人にバレるのが嫌だからだ。

 この社会で生きていくには、幼少からたくさんの頑張りが必要だ。勉強。宿題。受験。学習塾。就活。仕事。恋愛。家庭。

 頑張らなければと思いつつ頑張れなくて、というか、頑張れないと思っているだけであれが自分の精一杯の頑張りだったのかもしれないが、入れるギリギリの学校に入り、なんとか面接に合格し、将来の不安からなんとか転職し、精神を壊してふと思った。

 

 自分の、私の頑張らなければならない時代は終わった。というか、終わりにしよう。もういいじゃないか。こんな激動の社会で生きているだけで十分に頑張っている。これ以上スキルアップや昇進や、なにかの賞を取らなければならない気がするのは、それは気だけであって、それ以上のものではない。自分を脅かすものではない。

 頑張って偉い人のようにならなければならない気がする。社会がそう急かす。でも偉い人は10000人の中から突出して偉いから偉い人になったのだ。偉い人は頑張ったから偉くなったかもしれないが、自分が頑張って偉い人にならなきゃいけないわけではない。

 偉い人が、もしくはなにがしかが突出した人が見えやすいこの世、絵一枚描いただけで、写真一枚撮っただけで、記事一つ書いただけでその人らと見比べてしまう残酷な時代だ。

 働いている人も、働けていない人も、生きているだけで偉いよ。死にたいと思ってても、みんな偉いよ。

 何か成し遂げなくても、完成しなくても、できなくてもいいよ。十分だよ。

 鏡を見ると自分の緑がかった血色の悪い顔が映っていて、もうそれだけで、頑張らなくていいや、と思う。